アラカルト

恋に疲れちゃった?☆

今日は男と女の話。

 

中でも、会話ややりとりで繰り広げられるネゴシエーションの話です。

ここに、普段から少し彼に疑問を抱いているあなたがいるとします。

 

彼は自分のことを、いったいどれだけ真剣に考えているのか?
結婚しようって考えてくれているの?
みたいな思いがいつもなんとなくある…という背景において

さりげない会話の中には
沢山の批判や嫌味や
場合によっては侮辱などが
ところ狭しと並んでいるものです。

その底には
私はこんなに一生懸命なのに、彼はそんな私のことをちゃんとわかってくれない

という気持ちが渦巻いているからです。

 

被害者なのです、つまり。

 

だから
私は今までそうじゃないと思ってきたけど、あなたの言う世界ではそうなのね
と、理解のある人を演じながら批判したりするわけです。

ものわかりの良い優れた女でいる為に、
(○○みたいな女じゃない為に)
被害者の立場を守りながら
相手を非難したりするわけです。

また例えば

「決してあなたを傷つけるつもりはないんだけど」とか
「あなたの意見を否定するわけじゃないけど」とか
「これは批判ではなくてね」とかとかとか

さりげない会話の中にいっぱいちりばめられている、嫌味や批判の数々。

ぃやぃや、そうじゃなくて、私は本当に相手やお互いの為と思うんだけど、彼にはどう受けとられるかわからないから、注釈がついちゃうだけ

…って、言い訳も聞こえてきそうです。

が、

批判ではなくて…と言ってる時点でそれは批判です。

人が常に
最大パワーを投じて情熱を傾けたいもの、

それは 自分の正当性 です。

それゆえに、
↑のような会話は常々起こるのです。

別にいけないことではありませんが、
これはけっこうエネルギーを消耗することです。

なので時おり

もう、この恋に疲れちゃったわ

などということにもなったりします。

 

ちなみに

恋に疲れて終わりにするのも自由です。
しかしそれは

相手のせいではない

…ということだけは確かです。

エネルギー消耗パターンを選んだのは自分だからです。

エネルギー消耗パターンになっていることを
ほとほと疲れる前に知ることができると
それを続行するか、
あるいはやめて消耗しないパターンに切り替えるかの選択をする余地ができます。

とはいえ

消耗しないパターンには
正当性への情熱の入る余地はありません。
また、被害者意識もミスマッチです。

 

ゆえに、自分ととことん向き合うプロセスが必要なのです。

ミシェルメイ美菜子☆

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